金屋町(湊町二丁目)
湊町二丁目の通りです。江戸時代には東地子町字金屋町と呼ばれていました。高岡の金屋町のようにおそらく当初は銅製品の職人たちが住む町だったのでしょう。中ほどに毒身殿川が少し顔をのぞかせています。毒見殿川という名前から考えると、畠山氏か前田利家の毒見役がこの川のほとりに住んでいたかなにか由来があるのでしょうが、はっきりしたことはわかりません。
江戸時代の東地子町肝煎には大野屋八右衛門、小山屋三右衛門らがいます。
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