大正5年(1916年) 鹿島郡公会堂
小丸山公園内の愛宕山にあった鹿島郡公会堂です。私が中学生に入るころだったかに壊されてしまった少年科学館の前身です。ホルマリン漬けの動物の内臓とか展示されていて怖い怖いと言いながら喜んで見てたのを覚えてます。公会堂は明治28年の大火で焼失しましたが、明治42年の皇太子(後の大正天皇)行啓の休憩所として二万八千円あまりかけて再建されました。写真をよく見ると日の丸の旗を持った人が大勢いるのが分かります。これは、おそらく大正5年に皇太子(後の昭和天皇)が行啓した時の写真ではないかと思います。背後に見えるのは確か現存していると思うのですが、日露戦争戦没者を祀った忠魂碑で明治42年に完成しています。皇太子行啓といい、忠魂碑といい、帝国時代の愛宕山は国威掲揚の場所だったのでしょう。












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