港町七尾(写真は昭和15年発行『七尾の港』より)
昭和15年(1935年)ころの七尾港の一角、埋立てられてつくられた現在の昭和町、当時三島町波止場と呼ばれていた場所です。能登島汽船の発着場として使われていました。写真中央の建物は、現存しています。明治以来断続的に港の整備が進み、矢田新、府中町、昭和町と埋立地が次々と完成し荷揚げ場として整備され、矢田新埠頭へはすでに明治37年(1904年)に臨港鉄道が敷設され七尾港駅が設置されていました。港町七尾は当時、多くの定期航路をもっていました。朝鮮半島へ北日本汽船株式会社の船が月4便、樺太・北海道へは臨時寄港を含め実に9便、七尾新潟間の本州航路15便、宇出津、飯田などへの能登沿岸航路は能登商船により一日1便、能登島汽船による能登島航路は各港へ合計3便ありました。七尾港から船に乗り込む多くの人たちの姿が目に浮かびます。また、町には多くの船乗りたちの姿が見られたことでしょう。この写真が映された昭和15年は日独伊三国軍事同盟が結ばれたり大政翼賛会が結成された年で、次の年1916年には真珠湾攻撃、外食食券制の開始などがありました。この写真からは感じられませんが、時はまさに戦時中で、七尾湾には軍艦の姿も見えたそうです。












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