昭和14年の府中町海岸に立ち並ぶ建筵(むしろ)の倉庫群と港が写っています。「七尾町海岸線全貌」という題名がついている絵葉書です。第二種重要港指定を受けた七尾港の整備は、港の姿を全く変えるような大規模な工事を何期にも渡って施行し行われました。この写真の当時は、倉庫群の前の海を埋め立てて船溜を造る計画が進行中でした。手前の造船所は埋め立てが進むにつれて矢田新、三島町などに移転したそうです。江戸時代の海岸線は現在のものより、ずっと内陸側にあり、小島の妙観院や常盤町のあたりは浜であったそうです。今では想像もつきませんが海水浴ができたという話もよく聞きます。今思うに、たび重なる埋め立て、特にこの写真の当時の軍事目的による埋め立てによって七尾が失った景観には大きなものがあったのではないでしょうか。
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