昭和29年(1954年)ごろの鳳珠郡能登町小木の農村。(岩波写真文庫の解説文から推定)小木は大地の上の農村と大地の下の漁村からなっていた。大地の部落は麦芋をつくり、石材をきり出し、港町は旅の帆船相手に生計をたて漁業に無関心であった。地先の漁業権もあまり持たなかった。しかし帆船が来なくなると、新しい生計の道を漁業へ求め、遠く北海道へイカ釣りに行くようになり、大きな幟をたてて7月の海を出発する。昭和27年(1952年)の統計によると小木をはじめとして能登全体で136隻、2000人が北海道へ出かけている。 (『岩波写真文庫 能登』より転載)
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