「まちの寺」の変遷


町の寺の所在地の変遷

本七尾などから七尾の町中へと移転した各寺院の所在地の変遷について列記しました。
『鹿島郡誌』、『七尾町誌』、『加越能寺社由来』、『旧七尾市史』などを参考にしました。




(表示順はまちの東側から)

■浄土真宗
 
西仏寺
 矢田村から御坊町へ移転。現在もほぼ同じ場所にある。


本竜寺
 万行村から御坊町へ移転。現在もほぼ同じ場所にある。


大乗寺  
 『七尾市史』によると開基時から府中村にあった。『鹿島郡誌』によると永正3年(1506年)に現在地に移住し堂塔を建立せし、とある。


長楽寺
 城山の麓から御坊町へ移転。大正12年(1923年)現在の本堂を再建。


安楽寺
 『七尾市史』によると元から府中村にあった。


長福寺 
 『鹿島郡誌』によると、近江国から加賀国大聖寺へ移転し、その後国分村牛阪へ移転。前田利家より寺地を授かり現在の地へ移転。また、『七尾町誌』では天保年間に塗師町、その後現在地へ移転ともある。


浄泉寺
 越前国丸岡より金屋町(現湊町2町目)へ移転。文化11・12年(1814年・1815年)の火災で類焼し、現在地へ移転。


常福寺
 国分村国分寺のあたりから御坊町へ。その後明和年間(1764~1772)の火事で消失し、現在地へ移転。天明2年(1782年)再建の本堂が現存。


西勝寺
 本七尾より御坊町へ移転。その後現在地へ移転。


西休寺
  元中島町瀬嵐村(国分村国分寺とも伝える)から御坊町に移転。江戸時代後期に現在地へ移転。


願正寺
 本七尾より御坊町へ移転、その後、江戸時代後期に現在地へ移転。 


光徳寺
 加賀国木越村から門前町黒島へ移転。その後、前田利家より城山の土地を寄進され移転。その後、七尾町の違堀りに3石余りの土地を授けられ移転。天保12年(1841年)に現在地へ移転。


改観寺  
 城山の麓から佐味村付近へ移転。その後、前田利家によって新町(現在の阿良町)へ移転。慶安2年(1649年)に寺地を召し上げこうむり小島村(現在地)へ移転。旧称恵徳寺。
 一方、『鹿島郡誌』の記載によると利家の七尾入りの際、御坊町へ移転とある。


養泉寺 
 前田家より寺地を寄進され、本七尾から新町(現在の阿良町)へ移った。慶安2年(1649年)に寺地を召し上げこうむり小島村へ移転。明治15年(1882年)の火災で焼失。石崎へ移転し再建した。旧称永誓寺。


明願寺
 国分村から元和8年(1622年)に小島村へ移転。その後、三島町へ(現在の産業福祉センターのあたり)移転した。明治38年(1905年)の大火で消失し、現在の場所、国分町で再建した。旧称真福寺。



■浄土宗 

西光寺 
 七尾城下の古屋敷村から現在地へ移転。


■曹洞宗 

霊泉寺 
 古屋敷村から元和6年(1620年)に現在地へ移転。


最勝寺
 以前の所在地不明


宝塔寺
 調査中。





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