江戸時代には藤橋村字馬出しと呼ばれたました。写真に写っているのは、金沢地方裁判所七尾支部の建物で、元は米を貯蔵する御収納御蔵があった所です。ちなみに所口町奉行所は小丸山公園の向かいの今は住宅地となっている御貸家山にありました。所口町奉行には、だいたい禄高千石くらいの藩士が任命されました。町奉行所は、明治2年3月まで使用されましたが、廃止と共に奉行以下、小代官、足軽総勢22名は金沢へ戻りました。明治4年からは一時期七尾県庁として使われていたそうです。
また、写真の向かって右のほうへ行くと代官、小代官の家などがあり、みそぎ川の手前には、山廻足軽の家などがありました。
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