豆腐町(生駒町)
江戸時代の生駒町は豆腐町と呼ばれていました。現在のような川渕の通りはなく、町屋が川まで迫っていました。そして、当時最も富裕な商人たちが店、屋敷を並べる町として知られていました。 江戸時代の初めから、隆盛を誇った塩屋一族の元祖塩屋藤左衛門が住み、のちには塩屋五郎兵衛家、塩屋清五郎家、塩屋仁左衛門家など町年寄や町の役人をつとめる有力な商人たちの屋敷が仙台橋周辺などに並んでいました。江戸後期には豪商越中屋久左衛門の屋敷が現在の北国銀行の場所、昔、大谷派の教務所があったところにありました。明治の大火によって焼けるまでは塩屋仁左衛門家による岩城旅館など近世から続く商人の屋敷があり、江戸時代の面影があったそうですが、大火による被災に加え、終戦ごろに川に沿って新しい道ができるなどして大きな屋敷も姿を消し、今では当時の様子をうかがうことはできません。江戸時代の町肝煎には白石屋利右衛門、大野屋五郎右衛門らがいます。












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